部屋の掃除をしながら見つけた大切なメモ

時間があるとき、散々自分の興味のある動画や本を読みまくっていた。

大切だなと思ったものは、ノートに書き写していた。

今日、たまたま、論理力ノートなるものを見つけ、そこにあった大切な考えをここで発表したいと思う。

ニート→就職の過程から導き出された答え

それは、何かをすることの喜びを自分に植えつけろというものだった。

体力も落ちて、精神力も落ちて、散々酸いも甘いも吸い尽くした後、また何かのために頑張るというのは、かなりむちゃなこと。

この抽象的なものを具体化してみるとこうなる。

今の私にとって、誰かに何かを頑張れと言われるのは、もう歩くのもやっとな老人に200mの距離を全力疾走しろ!というようなものだ。

そんなんしなくて良いからってなる。

じゃあ、楽しく歩いておいでっていうのが正解だろう。

そしてしばらくしたら、ほんの少しずつ距離を伸ばして行って、そのうちに楽しくなってきたら、また走り出せば良い。

そうこうしているうちに、200mが300mになり、400mになり、しまいには、1km、10kmとなっていく。

その段階が正解なんだと思う。

この段階が嫌だと思ってやらなかったのが、2年前の自分だったなってようやく気付かされる。

そして、それを知ったのが2年後の自分なんだ。

って感じに書かれていた。

私は、甘えられる環境がないから、自分で自分の道を作っていくしかなかった。

今、思えば、両親がくたくたになるまで、育ててくれて、自分でなんとかしなくちゃいけないように育ててもらったこと、良かったなって思う。

だって、お金持ちでお金に困ったら、親が出してくれるっていつまでも甘えて、それがなくなったら、駄々こねて、地団駄踏んで、人のことを脅したり、憎んだりして、殺そうとするクズにならなくて良かったって思うから。

その体で、心でなんとかできるところまでやってみないと分からなかったことが確かにある。

一人暮らしして、親が改めて、一人の人間だったなって思う。

神様でもなければ、仏様でもない。ただ一人の人だったと思う。

新しいこと、習慣を変えて、生きるということ、そのことがかなり自分にとっての負担だった。

でも、今、考えても思うんだが、転んで、擦りいて、泣いて、それでもまた立ち上がろうとして、傷の痛みも知らないまま歩くより、熱出して、それでも、仕事に行く人の方が好きだ。

周りに迷惑だって言われるような人でも、その人が一所懸命やっている姿、私は、好きだなって思う。

どんなにバカでも。

やっぱり、熱い気持ちがそこにはあるから。

それが情熱って言うんだと思う。

その心に人は動かされるんだろうな。

不器用な生き方で上等だと思う。その思いが本当なら、きっとそうなっていくから。