正義の名のもとに

戦争における正義というのは強国に都合のいい、まさに万能の言葉に等しい建前であって、実際には戦争に正義など最初から存在しない。戦争において叫ばれる正義とは、強国が第三国を納得させる為に騙るスローガンのようなものであって、本当の正義が行われた戦争など歴史上一つもないのだ。戦争とは夥しい殺人行為であり、人殺しに正義などない。

そもそも正義とは人間が誰しも抱くことのできる考え方の一つであって、元来公明正大なものであり、少なくとも暴力的なものではない。他国で行われている悪を、無関係な国が有無を言わさず力で屈服させるのはただの内政干渉である。正義をあたかも旗印のように騙った上で他国を攻撃する事を正義の鉄槌などと称して胸を張る。確かに悪者を力で屈服させ、自分だけ正義の味方面するにはいい方法であろう。だがその行為自体、第三国の国民感情を眩惑的な言葉でペテンにかける、欺瞞に満ちた行為と断ずる外ない。それは極めて利己的なやり方であって、蹂躙された側の屈辱は決して消える事がない。彼らの怒りと復讐の火種を胸に抱かせたまま、一件落着と大見得を切るようなやり方が正しいか。状況を観察すれば誰にでも分かるが、何一つとして問題は解決していないし、このようなやり方は強国に都合のいい一方的な論理に過ぎない。どちらが正しいか、一方の言い分だけ聞いて沙汰してはいけないのである。

また、悪意をもって行われた卑劣な行為にすぐさま報復するのは、知恵の足りないこどもでも出来る。が、それは最も頭の悪い解決法という外ない。しかも、実際には何の解決にもなっていないのである。蛮行への報復と称する蛮行は、また新たな蛮行を誘発するのが関の山だ。そこから真の平和的解決を導き出す事は不可能なのである。

武力を行使して他国を制圧し世界の裁判官たりえようとする強国が現実に存在する。それらを正義と称して憚らない国家の元首たちがいる。自分より弱い者を虐げた悪漢を、袋叩きにする正義のTVヒーローの論理は問題の根本的な解決になるのであろうか。正義とは何か、履き違えていないか。力で相手国を捩じ伏せる事のどこに正義があるというのか。

かつてファシズムが世界を席巻した時代があった。彼らは自滅したわけではない。自分達に都合のいい大義名分を掲げ侵略戦争を起こし、結果世界大戦に発展した。世界の列強は当初対話で解決しようとしたが、国家併合という名の事実上の侵略を受け、その末に欧米、アジア、太平洋諸島、一部のアフリカまで巻き込む大戦争になった。そして人類は核兵器という史上類を見ない最悪の殺戮兵器を生み出し、夥しい犠牲を出して終結した。ファシズムの多くは集団ヒステリーのようなものであったと私は思っている。今もそれに近い独裁国が世界には若干存在する。核をちらつかせた外交手段を行っている国である。だが、考えてみてほしい。間違った主義というものは歴史を見ると、内部から崩壊しているものが多い。ファシズムは他国の攻撃で多くが滅亡した。だが彼らを内部から崩壊させる方法はなかったかと思う。内部崩壊してゆくものを、外から叩き潰す必要はないのだから。

国と国との悶着は話し合いで解決する方法が最も正しい。これは冷静に考えれば良識のある人間なら誰にでも分かる最善の解決法である。人間は言葉を理解し人と和する能力を持つ。頑なな相手と融和するための粘り強い忍耐力、過ちを赦すだけの寛容さを持った生きものなのだ。だから対話すら拒絶する相手には、性急極まりない正義に名を借りた武力での制裁ではなく、強い忍耐と時間が必要なのは誰であれ自明の理と納得できるはずだ。

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